今年も一年間お世話になりました。

議員として一年間の総括をさせていただきます。

【選挙イヤー】

今年は9月に改選で選挙がありました。結果は無投票でした。よく勘違いされるのですが、無投票でも告示日にはポスターを貼って、遊説をおこないます。今回の選挙からはビラの配布も解禁され、以前よりも利用できる選挙の手段も増えたのですがなかなかもらってくれる方もおらず、課題を感じました。無投票という結果により必然的に定数削減の話も出ています。

【定数削減について】

竜王町は1万1,400人の町ですが、12人の議員定数は多いのではないかという意見もあると思います。かつて竜王町は今よりも人口が少ない時代は定数が24人ありましたので、いま議員は半減したということになります。

私は安易な定数削減には反対しています。竜王町は現在、衰退するかどうかの重要な時期にあります。地域が衰退するかもしれないというときに、町をなんとかしようというプレイヤーの人数を減らすのは逆効果ではないかと思います。ただ定数の話は報酬とセットで考える必要があります。

【議員報酬について】

私は10月から副議長になりました。役職がつくことで多少報酬が上がることは知っていましたが、10月の明細を見るとそれでも20万円ありませんでした。くわえて竜王町議会は政務活動費がないため、公務以外のあらゆる議員活動は持ち出しです。政治を志した結果として、家も何も残らないことを井戸塀(いどべい)と言いますが、このままでは井戸も塀も残らない気がします。

家族が増えたことで、これまでのように妥協して生活することが難しくなってきました。町議という仕事そのものはとてもやりがいはある仕事ですが、兼業でやっていくには中途半端にしか出来ません。月数万円でも上がったら少しは違うとおもいます。これは年金を貰わずに議員活動をしている世代には共通していえることだと思います。

【町の人口減少について】

竜王町の人口減少はいわゆる「消滅可能性都市」の統計よりも早いスピードで進んでいます。国の研究機関の推計では2025年の町の人口は11,425人と予測されています。つまり、2年早く町の人口は統計上の数値に到達してしまった、といえます。この先どのような施策を講じても竜王町の人口は減ります。日本全体で人口が減っているためです。人口移動の受け皿に竜王町がならないかぎり不可能です。

ちなみに竜王町では1985年から1990年の5年間にかけては町の人口が一気に2,000人増加するという出来事がありました。大規模団地の美松台が整備されたためです。開発による人口増加の成功体験といって良いと思います。竜王町にとっての人口ボーナスはいつでも大規模な宅地開発によってもたらされてきました。住む場所があれば人が集まるという時代の話です。

今般のコンパクトシティ化構想でも、小学校の移転新築によって、古い小学校の敷地は宅地開発をする、という計画があります。新しい宅地を切り開く、といういわば町の伝統的な考えに依拠したものと言えます。ちなみに宅地開発は二期計画以降の話なので、今は具体的な話はほとんど決まっていません。あくまで「跡地は宅地にするのが良いのではないか」という構想がある、という話です。

【住む場所がない、という幻想】

竜王町では、宅地面積が少ないため人口流出が顕著だといわれてきました。とくに大手企業の寮を出た若手職員が近隣の市に流出することで客を逃し続けてきたのではないか、という考えです。私はこの考え方にずっと違和感を覚えています。

たとえば竜王町に住む場所が全くないかといわれたらそうではありません。私が議員活動として取り組んでいる空き家対策は、古い集落のなかにある空き家の利活用は人口増加の受け皿になるという考え方のもと行っています。

先日の一般質問の回答では次のような言葉がありました。「地域性として土地・建物を手放すことへの抵抗感が強い」ということです。かたや田んぼを買い取ってくれる人がいたら喜んで売る、という話も聞くのに奇妙な回答です。私はこの「抵抗感」の正体をもう少し噛み砕く必要があると思っています。もっと分かりやすくいうと、「よく分からない人が里に入ってきても困る」「売り手が買い手を選びたい」「相続でもめている」「仏壇や神棚が残っている」「残置物があり物置化している」といった事情により、「めんどうなので前に進まない」のが空き家問題です。「ほんとうに愛着があり手放したくない家」ははたして空き家になるでしょうか。

住む場所はすでにあります。町内に約140件ある空き家もまた人口の受け皿です。そこにどのような人が入ってくるか未知数であることや、相続や仏壇や残置物の問題などが複合的に絡み合うことで、簡単に活用に踏み切れないというのが正しい言い方です。行政としても面倒なので関係したくない、というスタンスを私は過去の一般質問を通じてありありと感じています。

【集落維持のために】

そうした背景により「宅地を開発する」という安易な手法で人の流れを呼び込みたい、ということなのですが、結局それでは新興団地が生きても古い集落は衰退していきます。5〜10年後には爆発的に集落の空き家は増えるはずです。団塊の世代が全員75歳以上の後期高齢者となり介護施設への入居や死去に伴う空き家率の増加が想定されるためです。そうなってから考え始めても遅いので、私はいまから空き家対策を訴えています。古い空き家に人を呼び込むのは、色々な課題や困難はあるのですが、集落機能の維持という観点では可能性を持つものです。

空き家が増えると不動産としての流通も顕著になります。大手不動産サイトに空き家が乗る割合が増えます。そうなったときに起きるのがミスマッチです。空き家バンクとは本来、さまざまな住民トラブルや思いの相違に対して、持ち主、買い手(借り主)、集落の地域性や風習などにマッチするよう調整機能を備えたソフト事業です。これが町にはっきりした形で整備されていないと、旧集落の空き家が流通するようになっても既存住民とのトラブルが起きることが予想されます。

【フリースクール】

その他のこの一年で力を入れてきたこととして、議会の一般質問で2回フリースクールを取り上げました。きっかけはある不登校の生徒の保護者の方から相談を受けたことでした。正直それまで私はフリースクールというものを名前くらいしか知りませんでしたが、話を受けたことによって近隣のフリースクールを見に行くことになりました。

昔私が子どもの頃は登校拒否と言っていましたが、その時代には学校に来なくなった子の居場所は家以外ほとんどありませんでした。学校の目の前に住んでいるのに一度も見たことがない同級生というのもいました。そうすると社会のなかで生きていく方法が学べなくなります。学校の成績が良いとか悪いという話とは関係なく、人の触れ合いことが苦手になると基本的に社会生活を送ることが困難になっていきます。

私はそれでも自分なりにビジネスを起こしたり、普通のサラリーマンより収入が多い人も知っていますが、それはあくまで成功体験です。いま現在困っている児童生徒がいれば、背景には困っている保護者もいます。とくにまだ年が幼い子が不登校になったときに保護者は家で見守る必要が出てきます。公的なサービスとしては適応指導教室がありますが、そこにも様々な事情で来られない場合があります。

そうしたときに最後の砦となるのがフリースクールです。フリースクールは簡単にいえば、家以外で子どもたちが安心して過ごせる居場所です。私は隣町にあるフリースクールを見学しましたが、驚いたのは最も遠い子で県庁所在地から通っているという話を聞いたことでした。JRからバスに乗り換えて片道1時間半以上かかる道のりを通っているのです。「居場所がある」ことにはそれだけの力があるのを知りました。

その後は東近江市長の不適切な発言もあり、かえって県内のフリースクールの議論は進みました。結果的に来年度からは県が主導してフリースクールを利用する世帯に公的な補助がおこなわれる見込みです。不登校を放置することは命に関わります。前に進むこととなりほっとしています。

【議会のあり方について】

先日隣町の堀江日野町長さんに声をかけていただいたときのことです。堀江町長は町会議員から町長になった方ですが、二期目は気持ちが楽ですよ、という話でした。私も二期目となって数ヶ月が経ちましたが、徐々にその言葉の意味が分かるようになってきました。右も左も分からなかった4年前と比べて、委員会の発言や議案の読解や一般質問の組み立てでも前よりはできるようなったという実感があります。大学生活とほぼ同じ時間を過ごしたので出来ない方が困るのですが、議員の1サイクル4年間を試行錯誤して次が見えてくるなと感じます。

【議会改革について】

現在、竜王町議会では報酬や定数の議論ばかりではなく、議会そのものの改革をおこなっていくことが現在議論されています。そのために特別委員会も組織されました。

私は、人を減らして報酬を上げる、人数を据え置いて報酬も上げる、といった数とお金だけの議論は全く意味がないと思っています。口減らしと減らした報酬の山分け、というような山賊的な議論が有権者からの理解を得られることはほぼないと思います。肝心なのは議会が新しいことをしている、変わっていこうとしているという姿が住民サイドから見えることでしょう。そうした取組をして初めて、報酬や定数がどうあるべきかという議論をすべきです。

【委員会に傍聴にお越しください】

先日私は委員会で総合運動公園の料金徴収の問題を取り上げました。町の条例と実際の現場の運用ルールには乖離があるのではないか、という話でした。委員会にはルールに疑問を抱く住民の方も傍聴に来られましたが、事務局によると過去10年で委員会の傍聴に住民の方が来られたのが初めてということでした。

委員会は本会議場での一般質問とは異なり議事録の公開やYouTube配信がありません。そのため委員会室に見に来ないと議論の内容がわかりません。竜王町議会では実はかなりの割合で、委員会で十分に議論をした結果として本会議では質疑や討論をせずに採決を行います。そのため本会議だけを切り取って見てみると、議員は議論も何もせず議長の進行に合わせて賛成の起立だけをしているように見えます。その姿だけを傍聴で見た有権者には何もしていないように映ります。議論の途中経過に透明性が全くないためそう思われても致し方ないと思います。

10年で一人も傍聴に来ないというびっくり仰天な状況もしかり、傍聴という仕組みが委員会にもあることを知らない住民の方が圧倒的に多いはずです。議会が十分に周知をおこなって来なかった結果ですが、いくら議論をしていると口では言っても有権者から見えなければ意味がありません。私はまず新しいことをするのが議会改革ではなく、今あるものをありのままに評価してもらう環境整備こそがスタートラインだと思っています。ぜひ委員会を見に来てください。傍聴者がいることの緊張感はひとしおです。議員も行政もいつも以上に頑張れると思います。

【来年は、来年も】

今年一年は子どもが生まれた喜びから始まり、選挙と議員以外の仕事と子育て家事等々、毎日が忙しさのなかに過ぎていきました。今年はばたばたと落ち着きのない年でしたが、来年はより良い年になるよう願っています。

この文章をご覧の皆様には「来年は」という方、あるいは「来年も」という方がおられると思いますが、皆々様にとって良い新年になりますことをご祈念申し上げます。来年もどうぞよろしくお願い申し上げます。