今日は午前中に最後の議会だより編集会議を終えて、少しの間ほっこりして、疲れが抜けた午後からは観光協会の勉強会に参加しました。
来年、竜王町を含む2市2町では聖徳太子1400年祭が行われます。「2022年2月22日」できっかり薨去後1400年です。すべて2と0の組み合わせで覚えやすいですね。薨去(こうきょ)は皇族の逝去のことです。
今日の講演は元安土の考古学博物館副館長の大沼芳幸先生によるものです。最初からスライド投影で部屋が暗くなって、やばい寝たらどうしよう…と思いましたが、なかなか面白い話でした。
大沼先生は山形のご出身なので、山形生まれの私も勝手に親近感を抱いています。
開口一番、近江の人は商売が下手だ、という話です。近江商人という土地柄でありながら、歴史の向き合い方が淡白で「君たち損してるよ?」という指摘から始まりました。
続いて松尾芭蕉です。山形には岩に染み入るセミの声で有名な山寺があり、芭蕉はあの田舎に20日しかいなかったのに数百年を経た今でも、山形は芭蕉で飯を食っている、にも関わらず義仲寺に芭蕉のお墓があるこの近江で、似たことをせず非常に淡白だ、もったいない、損している、という話でした。
本題の聖徳太子も同じです。聖徳太子ゆかりの滋賀の寺院というのは言わば後世の後付けです。(先生は、法隆寺は直接の開基で、滋賀のお寺は後世徐々にゆかりが出来たとオブラートに表現していました。)
ここで話は変わって、伊勢海老とエビ豆の喩えになりました。唐突な印象もありましたが、今考えるとこのエビの例えが本日の肝でした。
伊勢海老は、おせち料理の中心で、単体でもお刺身として賞味され、中心的な存在感があります。一方、エビ豆は煮豆と小エビの合わせワザです。お通し的で、メインディッシュではない料理です。
近江の聖徳太子は伊勢海老でなく、エビとか豆とか小さなモノが合わさって初めて力が出ます。つまりは小エビと材料が入り乱れた玉石混交なのが魅力なのです。素材の組み合わせで初めて力を持つわけです。「本間様にはなれないけれどいつかはなりたや殿様に」という言葉が山形にはありますが、まずは身近なことから始めて大きなものを目指していこうという話であったと思います。
今日の話は弓道にも活かせるな、と勝手に考えていました。一つ一つの要素は弱くても、ミックスすれば個性を持つ、あとは発信する勇気だ、格好をつけて出し惜しみするな、牽強付会を恐れるな、ということです。
歴史から町おこし・地域おこしをするというのは、一見マニアックなように思えます。しかし、山形が数百年も芭蕉の20日間で食っているという指摘は私も力をもらいました。あんまり考えすぎるのはいけませんね。大変貴重な講演を頂き、どうもありがとうございました。