今日、愛荘町で滋賀県内の首長と県知事との意見交換会が行われていました。テーマは「滋賀のすべての子どもたちに、学びと育ちの機会を保障するための不登校対策について」というものです。不登校児童生徒への県の対応案の骨子について説明があったようです。
会議後、東近江市の小椋正清市長が「文部科学省がフリースクールの存在を認めたことにがくぜんとしている」「不登校になる大半の責任は親にある」と発言したと報じられています。
国の教育機会確保法は不登校児童生徒の学習機会の保証を規定したものですが、学校の復帰を前提としない、という国の指針が令和元年に示されました。つまり何年も前から国の方針は、フリースクールなどを認める方向に舵を切っています。
問題があるのは実際の現場の対応で、国の指針をそもそも知らなかったり、前時代的な考え方で止まっている例が散見されることです。そもそもフリースクールとは?というのは学校の先生でもよく分かっていない場合があります。
今回の東近江市長の発言もおそらく現場の状況をよく理解していないため出たものだろうと思います。東近江ではフリースクールも稼働していますが、同時に適応指導教室(教育支援センター)もあります。公の施設があるのに、なぜ私立の組織に補助金を出さないといけないのかというのが本音なのだろうと思います。
ただ9月には東近江市でのフリースクールへの経済的な支援を求める8,000筆あまりの署名が市長と教育長宛てに出されているので、今回の発言は正直驚きがあります。あの署名は何の効果もなかったのかと思います。
適応指導教室は、教育機会確保のために必要性はあるのですが、難しいのは学校にも指導教室にも来ない場合です。最後の受け皿的な場所としてフリースクールにはかなりの重要性があり、実際に行き場のない子どもたちにとって前向きに機能しています。
先日私は日野町の「里山フリースクール」を見学してきましたが、県内の他市から子どもたちが通う距離の遠さに驚きました。もっとも遠い生徒で、最寄りの駅からJRに乗って近江八幡駅から近江鉄道バスに乗り換え、片道1時間半以上の時間をかけて通っていました。そこまでして小学生の歳の子どもが自発的に通うフリースクールという存在は、通常の適応指導教室とは別物と考えるべきです。近所の学校や管内の支援センターよりも、遥かに遠い通うのも大変なフリースクールが子どもたちの拠り所となっているのです。この事実は非常に重たいと感じました。
京都新聞の取材によると、三日月大造滋賀県知事は「居場所づくりや学びの保障の意味で、フリースクールが果たしている役割は大きい。不登校の原因は複合的であり、県が何をできるか考えていきたい」と述べました。滋賀県としては、フリースクールの必要性を認めるということが伝わってきます。
竜王町でも現在はフリースクールへの助成について検討をして頂いていますが、そもそも市や町によって補助があったりなかったりすることがおかしいのです。首長の思想信条によって経済的な支援があったりなかったりするようでは、それこそが子どもたちの教育を受ける権利を侵害していると思います。
2023年10月17日閲覧 『【速報】「不登校になる大半の責任は親に」滋賀・東近江市長が不適切発言「フリースクール認めがくぜん」』