年頭のご挨拶が遅くなり失礼しました。

本年もどうぞよろしくお願いします。

私の任期はあと残すところ8ヶ月となりました。

任期4年はあっという間、と言われてきましたが本当にあっという間です。

一方でコロナ禍直前に議員になって、コロナ禍に突入し、一時期は本当に苦しい思いもしました。

今日はこれまでに感じてきた議員の仕事ってなんだろう?ということをお話したいと思います。

議員の仕事は大きく分けて3つあります。

行政が出す予算などの審議、こうしたらどうだろう?という自らの提案、そして地域住民の話を聞いたりいざこざを調整したりすること、です。

この3点目の喧嘩の仲裁のようなこと以外で、議員が地域住民と直接的に関わることはほぼないと思います。そのため、地域内に紛争がない地域ほど議員の存在感は希薄になると思います。それ自体が良いか悪いかはなんとも言えませんが、皮肉っぽくいうと平和な地域ほど地方議員が何をやっているか見えてこないと思います。

そして1点目の審査と、2点目の一般質問などを通じた提案、ということは年4回の定例会と呼ばれる地方議会で延々と繰り返し行われています。実は暗部になりがちな1つ目、2つ目が議員の腕の見せ所だと思っています。もちろん傍聴や議会広報誌をくまなく見てもらう機会もそうないので、「見えない化」してしまう、埋没化してしまう場合があります。

見ないからサボろうと思えば出来ると思います。竜王町の話ではありませんが、過去何十年に渡って一般質問が全く行われていない地方議会も全国にはあります。しかしそれを「問題だ」と認識する地域住民はよほど議会に精通していると思います。

例えば12月におこなった私の仕事は次のようなものです。12月補正予算の書類を読み込んで、指定管理者の選定にかかるプロセスに質疑をおこない、新しく出来るボルダリング施設の利用者想定の算定根拠を質疑し、マイナンバーカードの独自メリット整備の必要性・滋賀県の交通税と再分配の問題・指定管理制度を活用した施設運営の指針の主体性について一般質問しました。

多少小難しく言っている部分もありますが、大抵の人は上記のことを聞いただけでは意味不明だと思います。高度に専門的な気もしますが、これらは地方議会のなかではごく当たり前なことの列挙です。

問題なのは、議会広報誌にも上記のままでそのまま記載されているので小難しく感じるということです。もしも私が池上彰ならもう少し噛み砕いて上記のことを伝えようとすると思います。

たとえばボルダリング施設の利用者想定は、3月末にドラゴンハットの隣にオープンするボルダリング施設の利用計画についての質問です。年間で5,000人程度の利用者を想定しているのですが、いったいどこからその数字が出てきているのかを質問しました。答えから先にいうと、現在レストハウスどらごんに設置されているボルダリングウォールの年間の利用者が5,000人くらいなので、そこから逆算しているということでした。

議会では更にそこに対して質疑をおこないます。質疑とは、提出された計画がおかしいのではないか?とかもっとこうするべきでは?という自分なりの意見も交えて質問をする機会です。

もともとレストハウスどらごんにあるボルダリングウォールは天井までのせいぜい3メートルくらいの高さのもので、主な利用者は子どもたちです。今回立ち上がる県大会規模の会場になるクラスの施設では当然大人も多く利用するはずです。くわえて、隣接するスポーツジムと同じような個人利用を主体とする施設運営をするので、スポーツジムの利用想定も参考にするべきです。コロナ前では年間1万人の利用者がジムではありました。スポーツ施設の利用者数は全国的に回復基調であるため、もう少し想定を多くするべきだと思う、と言いました。

こうした議論がなぜ重要かというと、指定管理者へ支出する金額は利用者想定を根拠として算出されます。だいたい利用者が年間で5,000人くらいだと400万円くらいの収入になります。指定管理料は「儲けられるであろう金額」を差し引いて算出されています。そのため利用者想定が5,000人なら400万円、想定が1万人なら800万円を差し引いて管理料がはじき出されます。

つまり過度に少ない利用者想定で指定管理料を計算している場合、その分支出される税金が増えてしまいます。お金を儲けられるポテンシャルがある施設なら、もう少し利用者想定を大きくして、税の支出を減らすべきです。

質疑では将来的に利用者が増えたら指定管理料の減額をするのか、という点についても質問しています。もし収益があがるようなことがあったならば、指定管理に出す先の団体が公益法人であるため、金儲け主義に走るわけではなく、収益でさらにスタッフを充実することなどを考えたい、といった回答を得ました。

というように、指定管理制度についてだけでもそれだけの説明が必要になります。実際に地方議会という現場で話をしているのはそのようなことです。

さきほど私は池上彰さんの名前を出しました。よく教養番組の司会をゴールデンタイムでやっていますが、需要があるためそうなるわけです。つまり世界情勢、国内政治、経済、コロナ事情、といったものは誰かが噛み砕いて分かりやすく伝える必要があります。

世間の大抵の人は事細かに政治経済を勉強したり一次資料にあたって自分なりに分析するための時間やリソースがありません。そのため「噛み砕き上手」は世の中で一定の需要があり、その代表的な人物が池上彰さんです。

同様のことは地方議会にも言えます。

私は議会広報誌の編集委員長を務めていましたが、つねづね「この文章では伝わらないだろうな」と思うことがありました。しかしあまり議論していることを違う言葉に置き換えすぎることも支障があります。あくまで広報誌はニュース解説や池上彰ではなく一次資料だから、です。さきほどの「質疑」という単語を「質問」と置き換えてしまうことにすら問題はあります。厳密に言えば、地方議会において質疑と質問は同じことではないためです。

ただ、原文をそのまま記載した広報誌を全戸配布したところで、そこからきちんと起きている物事を正確に読み取れる人は議員OBか行政OBなど、実際の現場に長年携わってきた人たちに限られると思います。

ここまで言ってやっと自分の言いたいことをお伝えしますが、地方議員には今起きていることを分かりやすく伝える池上彰スキルが絶対的に必要だとおもいます。少なくとも有権者に対する「説明責任」の定義は私にとってそういうものです。社会学的にはこうした人物のことをミドルマンといいます。わかりにくい物事の解釈を仲介することで、分かりやすくする人、人・もの・ことを繋ぐ人という意味です。

ミドルマンになる、というのが私が思う地方議員の仕事の一つです。

そして冒頭の話では、喧嘩の仲裁みたいなことがある、という話もしました。これがもう一つの大きな仕事です。

私は地方議員という仕事柄いろいろな相談を受けます。中には怒鳴り込みのようなこともありますが、地方議員の仕事の範囲を越えているような小間使いを頼まれることもあれば、明らかにその人が我田引水をするために言っているようにしか聞こえないようなご相談もあります。

ただこの3年有半で私は気づいたことがあります。これは間違いなくほとんど真理に近いことだと思いますが、寄せられる苦情や悩みの大半は聞けば解決するようなこと、ということです。

実は誰かに言いたかった、周りから相手にされないから聞いて欲しかった、解決を望んでいるとかいないとかではなく思いを聞いて欲しい、共感するだけでいい、ということが圧倒的に多いことに気づきました。もちろん本人は話せばそれでいいというつもりではなく、解決を望んでなにかを相談するのですが話していくうちにすっきりと解決してしまうことがあります。

たとえば、あるときある方から連絡を受けて町の未来予想図を聞いて欲しいという連絡を受けました。その話は竜王町が発展するためには、山林を開発したりインター周辺を開発したりするべきだという極めて大きくかつ詳細な計画案でした。ところがその方の計画案は、絵本のような絵付きで書かれていて、周りの人からは荒唐無稽なように聞こえたため、言葉は悪いですがしかとされていました。私も最初は何言っているんだとおもいながら聞いていましたが、一時間くらい経って初めてその方の話は現在の町の総合計画とほぼ同じことに気づきました。

その方も自分の話が初めて聞いてもらえたということと、実は全然オーソドックスな話をしているんだということにお互いが気づきました。話をしている本人でも気づかないことがあって、そこに至るまで実に1時間以上に渡る激論です。わたしも唯々諾々と聞いているわけではなく違うと思うことは違うと言うので、お互い声が大きくなりながら、でもやっと終着点にたどり着いたら全く普通の話をしていることにお互い気づいた、という感じでした。

問題はこの一時間誰かと話をすることが案外難しいということです。地方議会も国会も議論をする場所です。しかし議論は衝突の類似でもあるので、田舎になるほどそれを回避する傾向にあるように思います。とくに竜王町は農村部で近しい親類関係や利害関係のなかで上手に付き合うことで衝突を回避する傾向がある地域です。もっというと否定され慣れていない人も多いので、私が違うと言うと一生へそを曲げてしまう人もいるかもしれません。

いずれにしても、議論することは、それ自体が物事を解決する力を持つ可能性があることを信じることです。議論した結果仲違いすることもありますが、それはそれです。話を始めないと何も解決しませんし、話したら大半のことは実は問題ですらないことがあります。

そして話し合った結果でも解決できないことが、議会で取り上げるべきことだと思っています。二人で話し合ってもどうしたら良いか分からないようなことは、より多くの人の話を聞いて解決策を模索したり、そもそも行政や議会の仕組みがおかしいから発生している問題なのではないか?と考えることに繋がります。

そして繋がった結果として、議員提案である一般質問などが形作られていきます。基本的に一般質問に取り上げられることは、議論しただけでは解決できないことです。制度や仕組みを変えたり、予算を投入しないと解決されない課題が浮かび上がってきます。そしてそこに各議員の専門性や関心の所在が顕在化します。

いかがでしたでしょうか。

まとめると議員の仕事は、読む・質すというデスクワーク的側面とともに、人の話を聞く・その人とも議論をする・解決されないことは議会で提案して解決への道を探る、という循環によって成り立っています。どこにどれだけのリソースを割くのかは議員によってウェイトが異なると思います。たとえば書類の読み込みにものすごく時間をかける人もいれば、書類よりもまず住民の声を最初に聞くのが大事だというモットーを掲げる人もいると思います。ただどちらかにウェイトが偏っていたとしても、どちらかの方が大事だ、という考えは私は間違っていると思います。

議員になったからにはあらゆる書類の審査に責任が伴います。私が議決した結果として町の未来が変わってしまうかもしれないので、議案書の読み込みは極めて大切なことだと思います。そして先述のように分かりにくいことをなるべく原型を壊さないように分かりやすく伝えることも大事です。そしてすぐには解決できない課題は取り上げて公にしていく、ということも等しく重要性が高いことです。

これらのプロセスにおいて、サボろうと思えばいくらでも手を抜くことも出来ると思います。少なくとも地方議会は国会や県議会以上にブロックボックス化している側面があります。たとえば委員会の議事録がネット公開されていない、というのは最たる例です。もっというとそれをするだけの予算もない、というのが実態ですが。議事録システムを導入するのはランニングコストが結構かかるのです。

あるいは現在Youtubeで一般質問の音声配信が年100万円弱かけて行われています。しかしもっとも良く聞かれている動画でも再生数が100回を超えることはまずありません。そこに年間100万円も税金をかけている、というとなんと税金を無駄にしているんだと思われるのも致し方ありません。

ひいき目で見ればやっているようにも見えるし、再生回数だけで語られると地方議会は注目を集めるようなことは何もしていないようにも見えます。しかしそうした残念な状況は議員のちからだけでは打開できません。

議員は選挙のときだけよく目立ちます。なぜならお金を使うのも多くの人が政治に携わるのも基本的には選挙のときだけだからです。私が選挙のときに費やしたお金はだいたい30万円くらいですが、これは驚くほど少ない金額です。人によっては100万超えも珍しいことではありません。月の手取りが18万円の仕事で極めてコスパが悪いことにもおもえます。選挙並みのリソースを投入し続けるのは難しいため、選挙のとき以外目立つことはありません。そこに携わる人・もの・金の分厚さが平時は桁違いに少ないのです。ちなみに町会議員の選挙期間は5日間です。それだけ短期間なのに30万円でも破格に安いのです。海外旅行でも行くほうが有意義なお金の使い方かもしれません。

私は常々、付託、という言葉を拠りどころにしています。結局、人・もの・金の分厚さは一過性のものなので「あとは君に任せたよ」というのが後に残る事実です。任されたからには粛々と自分の仕事をしていくしかありません。有権者は私ほど暇ではありませんし、手当もなければ議案書も配布されません。自分がちゃんと仕事を出来ているのか迷うこともあるのですが、選挙の結果任せていただいたという事実は私が不安を感じたときにいつも思い出すことです。

すこし長くなりましたが、これがここ3年余りで私が感じてきたことの一端です。そうこれもあくまで一端に過ぎないので、議員の仕事とは、と話しだしたらキリがありません。きっと他の議員は全く別の考えも持つでしょう。ぜひ色々な議員に聞いて頂けたら、一人一家言があると思います。それでは、今年もどうぞよろしくお願いします。