先日の東近江市長の発言がニュースになっていますが、そもそもフリースクールとは何か?ということは大半の方は知らないのではないでしょうか。そこで、今日はフリースクールについて解説をします。

1. フリースクールってなに?

フリースクールは学校に行けない子どもたちが学んだり遊んだりする場です。不登校や発達障害などいろいろな事情を抱えた子どもたちが通っています。民間の教育機関で、設立の目的や規模、活動内容などは様々です。

学習は少人数や個別で指導をして、進路指導もそれぞれに合った情報を提供するなどお子さん一人一人に適したサポートを行っているところもあります。また、フリースクールの不登校支援は「社会的な自立を目指すこと」を基本的な方針としています。

2. フリースクールの運営主体はどこ?

フリースクールの運営主体は多くの場合、個人やNPO法人などが担っています。また、通信制高校やサポート校が運営しているフリースクールも存在します。

3.フリースクールに法的な根拠はある?

フリースクールは2016年に成立した教育機会確保法で法的な根拠が与えられています。2016年12月に超党派の議員立法で成立し、2017年2月に完全施行されました。教育機会確保法は、学校以外の教育機会を確保する施策を国と自治体の責務としています。

文部科学省は長らく学校以外の学びの場を認めてきませんでしたが、この法律によって方針が大きく転換されました。教育基本法も改正され、国と地方自治体に義務教育機会の保障を義務付ける規定が新設されました。また2019年には国の通知で、学校に登校するという結果のみを目標にせず、社会的な自立を目指す必要がある、として「学校復帰」という文言を教育支援センターのガイドラインから削除しています。

4.フリースクールの費用負担は?

フリースクールは原則、公的な支援がありませんので、親が学費を負担しなければいけません。フリースクールの平均的な費用は、文部科学省のデータによれば月額約3万3千円です。ただし、フリースクールには多様なスタイルと運営形態があり、費用もそれに応じて変わります。

5. 適応指導教室など公的な支援施設があるのにも関わらず、民間の組織であるフリースクールが必要になるのはなぜ?

適応指導教室とフリースクールは、不登校の子どもたちに対してそれぞれ異なる形での支援を提供しています。

◯適応指導教室

適応指導教室は、教育委員会が運営する公的な施設で、不登校の子どもたちに対して集団生活への適応、情緒の安定、基礎学力の補充などを目的としています。こちらは学校と密接に連携を取り、学校復帰を目指す場合が多いです。公的な組織のため基本的に費用負担はありません。

◯フリースクール

一方で、フリースクールは民間が運営する施設で、不登校の子どもたちに「居場所」を提供することが主な目的です。フリースクールは、子どもたちの自由や個性を重んじ、多様な教育活動や社会的訓練を提供しています。

とくに居場所の提供には多面的な役割があります。不登校の子どもたちを育てる家庭では、学校に行けない、行きたくない子どもがいると、家族の誰かが子どもたちの世話をする必要があります。そのため、親が仕事を休んだり、パートを辞めたりして、平日の昼間でも子どもを家庭で見守ることになります。

不登校は親や家庭にとっても負担感があるものです。昼間に子どもたちが安心して過ごせる「居場所」があれば、親は仕事をしてお金を稼ぐことも出来ます。フリースクールがあることで救われるのは子どもだけではないのです。

ここまでのまとめ: フリースクールは多様な事情を抱えた子どもたちが学ぶ民間の教育機関で、2016年の教育機会確保法によって法的根拠も得ています。運営は主に個人やNPOが行い、費用は親が負担することが多いです。公的な適応指導教室とは異なり、フリースクールは「居場所」を提供し、社会的自立を目指すサポートを行っています。

以上はフリースクールとは何か、ということの概略となります。

ここからは東近江市長の発言について考えてみます。なお以下は私の個人的な見解となります。市長の発言の根本的な問題意識と、フリースクールの教育機関としての機能について考えてみます。

6. 東近江市長の発言の真意は?

東近江市には公的な支援施設として「あすくる東近江」があり、行政として不登校支援は行っています。また支援室対応として、八日市、能登川、旧蒲生町で不登校児童生徒のための教室が開催されています。市長の発言では、生徒支援室に非常に優秀な先生が集まっている、という発言もありました。

市長の発言は「義務教育」の遵守を念頭に置いたものです。この文章をご覧の方は、義務教育は国民の三大義務ということはご存知だと思います。しかし義務教育とは「子どもが教育を受ける義務」という意味だと理解していたら、それは誤りです。

義務教育の本来の意味は、国や市などの行政そして子どもの保護者は、子どもに対して教育を提供する義務を負う、という意味です。義務教育とは大人たちが子どもたちに負っている責任のことなのです。市長発言は、教育を与える責任があるのに、子どもをフリースクールに預けることで安易に大人たちが義務を放棄することが正しいのか?という問いです。

つまり市長の発言は「フリースクールは義務教育の受け皿足り得ない」という認識に基づいています。この点が今回もっとも真剣に考えなければならないテーマだと思います。

7. フリースクールは学校と同じものではない?

私はフリースクールを「最後の砦」と呼んでいます。不登校児童生徒が学校に行けない、別室登校も難しい、教育支援センターにも足が遠のく、となったときに民間のフリースクールが肌に合う生徒も一定数います。東近江市長の発言では、そうした生徒は市内に17人しかいない、ともありました。

前述した通り、フリースクールに通うには子ども一人当たり月3.3万円〜の月謝が平均的に必要になります。では仮に17人全員が一箇所のフリースクールに通ったとしても、月55万円ほどの収入にしかなりません。その金額で、施設の家賃、光熱水費、教材の購入、スタッフの交通費、昼食費などを捻出しようとすると赤字になっても不思議ではありません。また、その限られた予算から、大卒で教員免許を持つ人材を雇用することは極めて困難です。

こうした懐事情によって、フリースクールは学校機関と同レベルの学びの場を提供することが出来ません。現段階ではフリースクールはまだまだ発展途上の段階にあります。違う言い方をすれば、お金がないから発展のしようがないのです。

現場の声としてはこうしたことは百も承知です。むしろ関係者は、フリースクールが必要なくなる世の中を望んでいると思います。フリースクールは学校や支援教室にはない雰囲気の居場所を提供する、ということが前提としてあります。それを「学校ではない」「教育のレベルが満たない」と論じるのはピントがずれた意見です。

8.市長の見解と現実の課題

先日の東近江市長の発言では、フリースクールを優遇するような制度設計をすると、フリースクールに子どもたちが流れていくのではないか、無理をして学校に行くくらいなら、フリースクールに通うほうが楽だという子どもがなだれ方式で出てくる、というものもありました。

それによって国家百年の計と言われる教育を根本的に弱体化するものではないか、国家の根幹が揺らぐ、ということを言いたかったのだと思います。教育は国家の柱であり優れた教育は人や国や地域の未来を豊かなものにする、と私は思います。しかしながら、無理をして学校に行くならフリースクールのほうが楽だというのはかなりバイアスがかかった意見です。

子どもの不登校に悩むのは保護者も子ども自身も同じです。フリースクールに通うから学校の厳しさから開放される、という感覚ではなく、フリースクールに通っている子は依然として悩んでいることに変わりはありません。まずは悩む子同士が集い、見守る大人がいて、集団性のなかで自然にコミュニケーションをとり、共に学ぶことで社会的自立を目指していく、もちろん学校に復帰したい子どもいれば快く送り出していく、というのがフリースクールのあり方です。「気が楽だから通っている」とは到底言えない複雑な状況があるのです。

誰ともつながれない状態を放置すると、生涯にわたる引きこもりにつながりやすいという見解もあります。そうした場合、大人になって苦労するのは本人だけでなく彼らを支えなければならない社会の負担にもつながります。フリースクールは集団性と社会性を養う上でのセーフティネットとしての役割があり、将来的な社会負担を軽減できる可能性があります。

この点が市長の認識が不足していると感じられる部分です。行きたいから行く、のではなく、子どもたちにとっても保護者にとっても最後に残された選択肢としてたどり着いた先がフリースクールであることが多いからです。そして、社会的に貢献する機能を有しているという点では、フリースクールには学校教育にはない特色があるということを忘れてはならないと思います。

10.まとめ

フリースクールには果たすべき役割がある一方、現実的には公的な補助の有無によって自治体によって格差が生じています。市長はその後、自治体に丸投げするのではなく国や県が音頭を取って対応にあたるべきだ、という主旨の釈明をしました。それは全くその通りだと思います。

市や町の領域をまたぐと不登校児童生徒への対応に自治体格差が生じ、子どもたちの学習権の保障にも地域差が生じてしまいます。住む場所によって学びの選択肢が充実していたり、そうでなかったりするのは子どもの権利を不平等なものにしてしまいます。教育機会確保法という法整備がされても、実際には不登校児童生徒への対応には自治体により温度差があるのが現状です。

東近江市長の発言は、公的な教育機関とフリースクールとの間で教育の義務と責任について新たな議論を呼ぶべきものとしては意味があったと思います。しかし不登校を家庭の問題とする発言があったため、議論が正しく行われることは叶わないように思います。本来考えなければならないのは、フリースクールにしか果たせない役割は何かという点です。この問題は不登校問題の全体の課題として、今後も議論されるべきであると思います。