【あさま山荘から50年の備忘録】

最近、youtubeのアルゴリズムで佐々淳行をよく見かけるのは、もしかしたら事件から半世紀となったことが影響しているのかもしれない。

アナログのVHS時代の人物が、現代らしいデジタルな蘇り方をしている。

佐々淳行は現場の陣頭指揮を担っており、私の世代だとズームイン朝のコメンテーターというイメージが強いが、日本に「危機管理」という言葉を最初に紹介した大変先駆的な人物である。

今日はあさま山荘事件について調べたことをなんとなく忘備録的に書いておく。

○あさま山荘事件には警官時代の亀井静香が参加したことが知られているが、後にオウムの長官狙撃事件で撃たれた國松孝次(たかじ)も応援として参加している。國松はあさま山荘の3年前、本郷の本冨士署の署長時代にも赤軍派に襲われている受難の警官。

○あさま山荘事件でカップヌードルが普及したとも言われるが、実際、日清創業者の安藤百福が銀座の歩行者天国でカップヌードルの食べ歩きを仕掛けたのは、事件の3ヶ月前のことであった。

○山荘の建物自体は今でも軽井沢に残っている。現在は香港の法人の所有で、2008年に都内の個人から1,300万円で購入している。純粋に投資目的の購入であり、山荘が事件の舞台となったことは「知らなかった」という。

○事件は1972年2月19日から28日に渡る長期戦となり、警官隊が突入した直後のテレビ視聴率(合算)89.7%は現在でも視聴日本記録となっている。これにより後に1972年2月28日は「テレビの一番長い日」とされ、同名の民放番組が制作されている。

○赤軍の人質となったMさんは、解放後に赤軍派メンバーが「紳士的だった」と発言したとされ、このことが大きく報道されたことで世間からバッシングを受ける。なお、警官隊突入の3日前からMさんの食事は1日1瓶のコーラだけだった。検査入院した病室はマスコミに盗聴され、食事の内容まで子細に報じられた。Mさんは現在静かに余生を送っているとされる。

赤軍メンバーの現在

○坂口弘:千葉県富津市出身、確定死刑囚(未決)、75歳。

○坂東國男:滋賀県大津市出身、クアラルンプール事件での三木内閣の「超法規的措置」により釈放、以後消息不明、生存なら75歳。

○吉野雅邦:東京都杉並区出身、無期懲役により服役中、73歳。

○加藤倫教:愛知県刈谷市出身、事件当時は未成年だったこともあり1987年に出所、今でも数年に一度メディアに出る、70歳。

○加藤元久:加藤倫教の弟、保護観察処分、66歳。

○警察側は死者2名、重軽傷者多数。警官隊の包囲網をすり抜けて「人質の交換」を志願し山荘に近づいた民間人1名が死亡。

○赤軍はその後、あさま山荘事件から3ヶ月後にテルアビブ空港乱射事件を起こし、実行犯の岡本公三はイスラエルと対立するレバノンに政治亡命し現地で生存している。2017年に毎日新聞の取材を受けているが、乱射事件を自らの信条を貫くための「武装闘争」と表現し、いまなお全く反省していないことを伺わせている。なお、乱射事件の犯人のうち2名は手榴弾等でその場で自決したとされるが、これがのちのイスラム世界で自爆テロとして模倣されるようになったといわれる。

○坂東國男は膳所高校から京都大学農学部に進学している(のち中退)。私は京大院生時代に坂東が使っていたのと同じ床屋に通っており、店主の「坂東は麻雀き○がいだった」という口癖が今でもひどく印象に残っている。

○1970年代前後には、マルクス主義に傾倒した左翼のインテリ学生によって暴力革命を旨とする極左組織が複数誕生し、70年代の学生運動を扇動していた。今でも当時のセクトは複数存続しており、中核派の最高指導者の清水丈夫が51年ぶりに公に姿を現したことは一昨年大きく報じられている。清水は警官一名が殉職した1971年の渋谷暴動を「必要な闘争だった」と表現し、いまなお全く反省していないことを伺わせている。なお中核派の構成員は現在4,700人いるとされる。

○中核派若手メンバーは現在youtube動画を週1ペースで配信しており、そのうち最も再生数が伸びる傾向にあるのが中核派のアイドル洞口朋子(33歳)が登場する動画である。洞口は現職の板橋区議(一期目)であり、3年前の選挙では48議席中18位で当選を果たしている。なお、同チャンネルで最もバズった再生回数の動画は洞口をメインに据えた「公安スペシャル」(13万回再生)である。

○佐々淳行は戦国武将佐々成政の子孫として知られているが、テレ東の開運なんでも鑑定団に先祖伝来の備前長船の短刀を持って登場している。1000万円の評価額を得て、無事に当時の刀剣協会の理事として面目を躍如している。なお刀剣協会は橋本龍太郎会長亡き後、佐々がその後を襲うが、長年、理事やその家族の所有する刀剣類に不当に高い鑑定額を認可していた疑いが表面化し、国会でも取り上げられる事態となる。前述の1000万円の鑑定額を出した鑑定士は、当時刀剣協会の評議員を務めている。

調べて行くうちに気づいたが、佐々淳行のような華麗な人物にも大きな光と陰がある。そしてあさま山荘事件は半世紀も前のようにおもえて、実行犯も、その遺志を受け継ぐとおもわれる人間も、当たり前のように今に生きている。50年経ても、人も、思想も、建物でさえ、変わっているように見えて現実はまったく変わっていない。過去の遺物は今の社会にずいぶん影響力を残しているのだ。そのため、あさま山荘事件は実際「昨日のこと」と言って間違いではなく、今日この事件のことを考えることは、今の世の中のあり方を問うことにも繋がっている。